遺族感情
宅間守死刑囚に死刑が執行された。
プロ野球再編問題の陰に隠れてしまった感もあるが、様々な問題を投げかけた。
重要な問題だしこの事件が提起する問題は特異でもあるから、
しばらくすれば多くの議論が巻き起こるに違いない。
そのなかで
死刑賛成派にとっても反対派にとっても遺族感情は重要な論点になるだろう。

たしかに遺族感情は重要だ。
だが、遺族の感情が重視されるためには条件がつくことを思い起こさなければならない。
その条件とは、「遺族」にふさわしい言動を取ることである。
まちがっても、イラクで人質になった若者たちの家族のようにふるまってはならない。
怒りを抑え切れなければ、怠惰な警察のような小規模で穏当な対象に向けるべきで、
体制批判のレベルに拡大してはならない。
これから遺族感情云々という議論を聞くときは、
私はその人にとっての「遺族」の条件に注意を払いたい。
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# by tyogonou | 2004-09-20 00:17 | 社会
「感動を与える」
私は実は星野仙一氏があまり好きではない。

いつのことかは定かではないが、中日か阪神の監督に就任したころのテレビのインタビューで「感動を与えられるような試合をしたい」というようなことを言うのを聞いて、長島さんや若い選手ならともかく、星野さんまでこんなことを言うのか・・・と暗い気持ちになったのを覚えている。
「与える」とは目下の人間に向かって言う言葉だ。もちろん、星野氏がファンを見下しているわけではないだろうが、この言葉の持つ押し付けがましさまではぬぐえない。そしてその押し付けがましさに注意が払われないまま、「感動を与える」という表現が氾濫していくような状況を想像して憂鬱になってしまったのだ。
もうひとつ。感動とはサルの餌のように簡単に与えたり与えられたりするようなものではない。すばらしいプレーを見て感動するとき、その感動は私自身の力さえ超えている。人間は、自分の意志によって感動したりしなかったりはできないものだ。大げさに言えば感動はいわば野球の神様がくれるものであって、選手もファンもその前では等しく微々たる存在でしかない。
鈴木健二氏が何かの雑誌で、アテネ五輪中継のアナウンサーや選手たちの言葉の貧困さについて苦言を呈していたが、それは現役の若い人たちだけでの問題ではない。
一応、私自身、言葉の「誤用」についてあまりうるさく言うつもりはない。自分自身がそういった「誤用」をしていないとも限らないし、言葉は変化し続けるものだと考えているから。それでも、「感動を与える」という表現をはじめとして、スポーツやマスメディアの世界で常套句として使われるようになった「誤用」には苛立ちを抑えることができない。それが自覚されにくい傲慢さ、たとえば「フリーダム」を口にするアメリカ人のようなナイーブな傲慢さを生むからだ。
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# by tyogonou | 2004-09-18 23:39 | スポーツ | Comments(0)
老駑思千里
神亀雖寿 亀という神聖な生き物は長生きをするといわれるが
猶有竟時 それでもやはり終わる時というのはくるものだ。
騰蛇乗霧 龍は雲に乗って天空を駆け巡るが
終為土灰 最後には足元の土くれに帰ってしまう
       なんとむなしいことだ・・・
           しかし
老驥伏櫪 名馬は老いて厩に伏したきりになってしまっても
志在千里 その志は千里の彼方にある
烈士暮年 烈士もまた老年を迎えても
壮心不已 壮心は止むことがない
 曹操『歩出夏門行』より


驥一日而千里      名馬は一日で千里を行くが
駑馬十駕則亦及之矣  駑馬も十日かければやはり千里の遠きに達する
『荀子』より


駑馬といえども千里を思う心は名馬と同じ、
才及ばずといえども休まざれば千里に達す。
故に曰く『老駑思千里』

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猪悟能(別名猪八戒)

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# by tyogonou | 2004-09-03 23:34 | about... | Trackback | Comments(0)