橋下氏、文楽協会に補助金支給へ
文楽協会に対する大阪市の補助金削減問題で、橋下徹市長と文楽の技芸員(演者)らが3日夜、大阪市役所で公開の意見交換会を行った。橋下市長は意見交換会の後、執行を凍結していた本年度の補助金3900万円...
橋下市長は意見交換会の後、執行を凍結していた本年度の補助金3900万円を支給する方針を表明。
補助金の支給が決まったということでまずはめでたい。
しかし、記事を読む限り、議論がおおいに盛り上がったというわけでもなさそうで、なぜあれほど公開で行うことを強硬に主張したのか少し不思議である。とにかく忙しい現在の状況では、この問題にあまり時間を割きたくないので、補助金を出すことで幕を引いてしまおうというただそれだけのことだったのではないかとひねた見方をしてしまう。
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# by tyogonou | 2012-10-05 01:10 | Trackback | Comments(0)
文楽の魅力








橋下大阪市長には感謝しなければならない。
例の騒動があったために、youtubeで文楽の映像を探し出して鑑賞することになったが、そのすばらしさは想像以上だった。
最初の阿波の人形浄瑠璃と比べると、文楽がどれほど洗練された芸術であるかは一目瞭然だ。人間国宝と比べられるのも酷だが、阿波の人形浄瑠璃は、「人形劇っぽさ」が大分残っているが、文楽の動きの複雑さと繊細さはおよそ人形劇を超えている。

考えてみれば、文楽とは不思議な人形劇だ。おそらく、文楽以外の人形劇はすべて、いかにして人形をリアルに、かつ観客には分からないように操作するか、という課題を達成するためにさまざまな工夫をこらしてきた。それなのに、文楽のみは操作者を隠すことにほとんど無関心のように思われる。なぜか。
文楽を理解し楽しむためには、まず、文楽が大人を対象とした芸能だということをおさえておく必要がある。それは単にテクストが大人向きだということではなく、文楽が観客の知性を信頼するところに成り立っているということだ。それは「約束事」を理解する能力であり、別の言い方をすれば、記号(あるいはスキーマ)を操作する能力といってもいい。ほとんどの人形劇が対象とする子どもたちはこの能力が未発達なので、人形を動かす仕組み(特に操作している人間)はできるだけ見せないようにしなければならない。子どもたちにとっては人形(あるいは着ぐるみのキャラクター)だけが、「真実」なので、動かしている人、「中の人」がうっかり見えてしまうと、それまで心を躍らせてみていたドラマが「偽ものだぁ!」ということになって全く楽しめなくなってしまう。大人であれば「嘘」を「嘘」と知りつつ「真実」として楽しむことができるが、子どもには「嘘」か「真実」かのどちらかしかないのだから。文楽は、「人形」を「人間によって操られる無機物」と知りつつ、「繊細な感情を持つ物語の登場人物」として楽しむことのできた大阪の人々によって育てられ磨き上げられ守られてきた貴重な文化遺産なのだ。
文楽の凄いのは、単に人形遣いの存在を隠さず舞台に上げてしまうだけでなく、人形遣いが顔を出してしまうことだ(出遣い)。つまり、通常の人形劇が「隠す」のに対して、黒衣姿は「隠さない」、そして出遣いは「現れる」となる。そして劇全体では「リアル(人間)を排除したファンタジー(人形)」、「リアルとファンタジーの共存」「リアルのファンタジーへの侵入」と言えるだろう。これを楽しむことのできた江戸時代の人々がどれほど大変な知性を持っていたかが窺える。

それでは、「出遣い」まですることで、どんな効果がもたらされたのだろうか。

まず、これは「出遣い」とは関係ないが、人形を直に持って操作することで繊細な表現が可能になったことが言える。人形劇の「人形っぽい」感じというのは動かない胴体に出てくるものだが、文楽の人形のよく動く胴体は躍動感や細かい感情を醸し出してそういった人形っぽさを感じさせない。また、文楽は日常生活の場を舞台とすることも多く(それもまた特筆すべき特徴だ)、さまざまな小道具を人形が持つことになるが、人形遣いは人形の手ではなく自分の手でそれを使うことができるため、扇子を広げて見せたり、本物の火をつかってみせたりといった芸当が可能になっている。

出遣いが人形遣いにもたらした影響として、舞台に「現れ」、観られることになったために、人形遣い自体の「所作」が磨かれたということが挙げられるだろう。二番目の動画の後半(5分30秒~)を見れば、人形の舞であり、かつ人形遣いの舞でもあることが分かるだろう。
文楽を観る側にとっては、出遣いはまず安心感に結びつくといえるだろう。3番目の動画の5分20秒頃からと4番目の動画の10分36秒頃からは、似たような状況で出遣いの有無が違う(照明の違いも無視できないのだが)。3番目の動画で2体の人形を6人の黒装束の男たちが囲んでいるのは少々不気味な情景でもある。人間の脳には不明なものの正体を探ろうとする働きがあるので、背格好であるとか、中の人に結びつく手がかりをつい探しにかかってしまいかねない。むしろ顔が出ていて正体が分かっているほうが、安心して人形に集中できるという面がある。
また、一人が顔を出すことで、三人+人形一体の動きに統一感が出るという利点もある。つまりひとつの「チーム」として認識しやすいということだ。特に着物を脱いだり小道具を使ったりするときなど、左遣いが左手でさまざまな作業をするようなとき、主使いが顔を出してどっしり構えていることで、そんなノイズが目立ちにくくなると思う。
最後に、出遣いの主遣いは観客が人形の動きにこめられた細かい情などを理解する媒体となっているのではないかと思う。4番目の動画の15分40秒頃からの左側の主遣いをミラーニューロンを目いっぱい活性化させて観てみるとその意味が分かるだろう。

ところで橋下市長は曽根崎心中を観て「ラストシーンがあっさりしていて物足りない。演出不足だ。」と仰ったらしい。あっさりしているという特徴とも合うし、だいたいこの動画のようなラストシーンだったと仮定しての話だが、市長の「素朴」で「率直」な意見は全く傾聴に値しない。人魂の彷徨う暗く寂しい森の中で心中しようというのに、一体市長はどんな濃い演出を期待していたのか。きちんと筋を理解し、語りと三味線に耳を傾けていれば、このシーンの寂寥感と緊迫感は伝わったはずだ。正直、市長の鑑賞態度は、学校の行事で嫌々連れてこられた中学生並みだったのではないかと疑ってしまう。

「お前さん方には、この結構な義太夫を聴いて、その情が分からないてぇことはなんという情けないこと。えぇ? 昔の名人が苦心をして筆を執ったもの、本を素読みにしても涙が出るように書いてある。それを私が節をつけて語っているんだ!!!」
「節がつくだけ情けない」
「・・・誰だ今なんか言ったのは?」(落語『寝床』)

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# by tyogonou | 2012-09-02 23:44 | Trackback | Comments(0)
スギちゃん、骨折で3カ月の重傷
お笑い芸人「スギちゃん」=本名杉山英司=さん(39)が1日未明、テレビ朝日のバラエティー番組の収録中に全治3カ月の重傷を負った。テレビ朝日が同日発表した。スギちゃんは番組の企画として飛び込みに挑...
想像力の欠如記事によると足から飛び込んだということなので、おそらく飛び方に問題があったわけではないのだろう。それでもこういった事故が発生したということは、私の想像していたよりはるかに危険なことだったようだ。
スギちゃんが、早く、後遺症無く、元気になってくれることを願っています。
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# by tyogonou | 2012-09-02 00:17 | Trackback | Comments(0)