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複雑系
NHKで放送された『マネー資本主義』を見ててふと、『複雑系』を思い出した。
金融工学の威力の源泉は、それが人びとの欲望を刺激したとか、人間の行動をすべて数学に置き換えたことだとか、人びとの絆を断ち切っただとかいうところにあったのではない。それは、全く新しいニッチを拓いたところにある。
金融工学の前提は金融工学が存在していない固定環境としての経済であったが、経済を複雑系としてみるなら、ひとたびそれが確立されるとその存在自体が経済の姿を新しいものに変え、それが前提としてたものとは別の環境のなかで適用されることになる。そこに無自覚であったなら、「モンスター」を作り上げてしまいかねないのは金融工学に限った話ではない。
金融システムを規制する国連規模の組織を設立しようという提言についても、複雑系としての経済の中の相互適用と共振化のダイナミクスに太刀打ちできるだろうかと疑問に思う。
複雑系は、それなりに話題にはなったものの、いろいろ批判もあって、その具体的な成果が無視されているわけでもないが、今ではその枠組み自体が口にされることもなくなっているような感じだが、その基本的な枠組みは価値あるものだと私は思う。
下に引用するミッチェル ワールドロップの本の第五章、コンピュータ科学者ジョン・ホランドの講演(一部省略あり)などは、簡潔にまとまっていてそれでいて示唆に富んでいる。

複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち (新潮文庫)

M.ミッチェル ワールドロップ / 新潮社



 第一に、これらのシステムは並行的に作用する多くの「エージェント」のネットワークであるということ。たとえば、脳におけるエージェントはニューロン、エコロジーにおけるエージェントは種、細胞のそれは核やミトコンドリアのような細胞内小器官だ。
 しかしそれが何であれ、どのエージェントも、そのシステム中の他のすべてのエージェントとの相互作用をとおして生まれる環境の中に置かれている。そしてどのエージェントも、他のすべてのエージェントがしていることにたえず影響を与え、また反応している。そしてそれゆえに、その環境中にあるものはすべて、本質的に固定されていない。
 さらに複雑適応系の制御は極度に分散化される傾向がある、とホランドはいった。たとえば脳には主ニューロンというものはない。発生中の胚の中にも主細胞というものはない。もしシステムの中になにがしか一貫性のある振る舞いがあるとするなら、それはエージェント間の競合と協力から生まれている。
 第二に、複雑適応系には多くの組織化のレベルがあり、どのレベルのエージェントもそれより高いレベルのエージェントの構成要素になっている、とホランドはいった。たとえば、一群のタンパク質、脂質、核酸が細胞を形成し、一群の細胞が組織を、組織の集合体が器官を、器官の連関が一個の生物を、生物の集団がエコシステムを形成している。
 さらに、個人的にはひじょうに重要だと思っていることだが、複雑適応系は経験をつみながらたえずその構成要素を改めたり再構成したりしている、とホランドはいった。生物の後続世代は、進化というプロセスをとおしてその生体組織を修正し、再構成する。
 ある深い基本的な意味では、学習、進化、適応といったプロセスはすべて同じであり、いかなるシステムであれ、適応の基本的メカニズムの1つは、こうした構成要素の修正と再結合である、とホランドはいった。
 第三に、、すべての複雑適応系は未来を予感している、と彼はいった。それはエコノミストたちには少しも驚きではないだろう。たとえば不況の深化という予感によって、人びとは新車購入や贅沢なバケーションを控える―ちなみに、そのことが、不況は深化するという予感の裏付けに一役買うことになる。
が、じつは、この予感や予測といったことは、人間の予見とか意識という問題を超越している、とホランドはいった。バクテリアからはじまるすべての生物が、遺伝市中に暗号化された暗黙の予測を有している。「ABCという状況では、XYZという行動がうまくいく」
 ホランドはつづけた。もっと一般的にいえば、どの複雑適応系もさまざまな内なる世界モデル―ものごとのあり方に関する、ある場合は暗黙の、ある場合は明白な仮定―にもとづいて、たえず予測している。これらのモデルはけっして受動的な青写真ではない。それらは能動的である。コンピュータ・プログラムのサブルーチンのように、ある特定の情況で活気を帯び、「事を実行し」、システムの中に振る舞いをもたらす。したがって、内部モデルは行動の構成要素であるとみることができる。他の構成要素同様、それらはシステムが経験を積むにしたがい、検証され、洗練され、再構成される。
 最後に、複雑適応系は一般的に多くの〈ニッチ〉を有しており、ニッチ一つひとつは、そのニッチを満たすように適応したエージェントによって利用される、とホランドはいった。たとえば、経済の世界にはコンピュータ・プログラマー、配管工、製鋼所、ペット・ショップなどのための場があるが、それはちょうど、熱帯林にナマケモノやチョウなどのための場があるのと同じである。さらに、一つのニッチを満たすという行為そのものが、新しい寄生者、新しい捕食者と獲物、新しい強制相手のためのさらなるニッチを開く。つまり、システムによって新しい機会がつねにつくられている。そしてこのことは、複雑適応系の均衡状態を論じても本質的に無意味ということである。それはけっしてそこに留まってはいない。複雑適応系はつねに進展し、つねに変化している。もしそのシステムが均衡状態に達してしまったら、それは安定でなく死んでいるのだ。そしてそのことでいえば、システム内のエージェントはその適応や有用性といったものを「最適化」できる、などと考えるのは無駄だ、とホランドはいった。可能性の空間は莫大であるから、最適を見出す方法は事実上存在しない。エージェントが出来る最善の策は、他のエージェントがやっていることと関連させながら、みずからを変え、改善していくことである。要するに、複雑適応系を特徴づけているのは、この不断の斬新さである。
 多種多様なエージェント、構成要素、内部モデル、不断の斬新さ―これらすべてを考えに入れれば、複雑適応系を標準的な数学で解析することが困難なのは当然だ、とホランドはいった。なるほど、微積分や線形解析のような伝統的手法は固定環境の中を動く不変の粒子を記述するには最適である。しかし経済を、あるいは一般的な複雑適応系を深く理解する上で必要なものは、内部モデルを、新しい構成要素の創発を、そして多数のエージェントの相互作用の豊穣な網を強調するような数学と、コンピュータ・シミュレーションである。
by tyogonou | 2009-08-03 23:35
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