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久間防衛相の信念
<久間防衛相>原爆投下に関し「しょうがない」の発言 | エキサイトニュース
日本の防衛を担う大臣が、祖国、それも自分の地元に落とされた核を「しょうがない」と肯定するとは奇妙な話だが、久間防衛相の過去の発言を振り返ると不思議でもなんでもない、首尾一貫した考えを持ってこういった発言をしていることが分かる。
クラスター爆弾の必要性を防衛相は次のように主張した。(ご都合主義的な防衛構想)
「攻撃されて蹂躙(じゅうりん)されるか、守り抜いた後で不発弾処理をした方がいいか。今の技術レベルだと、私は後者だと思う」
今回の原爆肯定の論拠は次のようなものだ。
これなら必ず日本も降参し、ソ連の参戦を食い止めることができる、という考えだった。間違えば北海道まではソ連に取られてしまった
「当時の日本政府の判断が甘く、終戦が遅れるとソ連に占領されていた可能性があったことを指摘しただけだ。原爆を肯定したわけではない」(講演後終了後の説明
自衛隊の役割は他国(ただしアメリカを除く)の軍隊に占領されるのを防ぐのが第一であって、日本国民の生命を守ることではない。むしろ国民の生命は占領を防ぐという崇高な目的のために喜んで奉げられなければならないし、自衛隊も大量破壊兵器による殺戮さえ必要とあらば割り切って実行しなければならない。それぞれの発言はこういった信念の表現と理解すべきなのだろう。

追記
 だが、今後も……。人類は戦争と戦争の谷間にみじめな生を営むのであらうか。原子爆弾の殺人光線もそれが直接彼の皮膚を灼かなければ、その意味が感覚できないのであらうか。そして、人間が人間を殺戮することに対する抗議ははたして無力に終るのであらうか。(原民喜「戦争について」)

by tyogonou | 2007-06-30 21:21 | 国内政治
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